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クリエイティブ・コネクションからの「お知らせ」やブランド・マーケティングに関する「見聞録」など、最新情報を掲載しています。

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ブランド・マーケティング見聞録

40年以上のキャリアを有する、クリエイティブ・コネクション
代表取締役の町田が、あれやこれやブランド・マーケティングについて語ります。

むかし、むかしのお話
私の名前をドアからはずす時。
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昨年から続くコロナ禍で、ニューノーマルだの、ゼロコンタクトだの、今こそ新しい働き方や暮らし方を考える時だといわれています。そんな折、温故知新ではないですが、むかし、むかしのお話をさせていただきます。ご興味のある方は、どうぞお付き合いください。

私は80年代のコピーライターブームに、広告業界に入りました。そして、さまざまな経験を積み、2005年に弊社を設立し、現在に至っています。その間、色々な方や会社にお世話になりました。

改めて振り返ってみると、私が広告のクリエイターとして強く影響を受けたのは、4人の師匠と2つの会社です。師匠については別のブログ(「とあるコピーライターの回顧録。」http://creative-connection.blog.jp/ )に書いていますので、ここでは会社に絞って書かせていただきます。

■広告とコピーの基本を徹底的に叩き込んでくれた会社

まず1社目は、以前のブログでも触れましたが、私が新卒で入った『ナショナル宣伝研究所(通称:ナショ研)』です。大学を出たばかりの私に“広告の基本”と“コピーのいろは”を徹底的に叩き込んでくれました。

当時はコピーライターブームに加え、バブル景気も始まりかけていて、広告業界全体がとても華やかだったです。しかし、ナショ研は真面目な広告が売りだったので、私も真面目なコピーをひたすら書く日々でした。

そもそもナショ研は、松下電器の初代宣伝部長だった竹岡リョウ一氏が独立する際、松下幸之助氏から、宣伝部と切磋琢磨して“良い広告を制作する会社をつくれ”との命を受け、1956年に創業した日本で一番古い広告制作会社です。

OBには、横尾忠則氏、山藤章二氏、仲畑貴志氏などがいらっしゃいます。由緒正しい会社らしく、由緒正しい広告を制作する会社なんです。

私が在職中の87年に竹岡リョウ一氏の引退を機に、社名を「クリエイターズグループMAC」に変更すると共に、松下電器の100%子会社になりました。社屋も赤坂へ移転し、楽しかった六本木ともおさらばです。

私はその半年後に辞表を出しました。別に六本木が恋しかったわけではありません。新聞や雑誌などのグラフィック広告だけでなく、テレビやラジオCMを含めたフル媒体の仕事がしたくて5年間お世話になったナショ研を卒業。日本の広告代理店に転職しました。

■戦略的ブランディングの重要性を学ばせてくれた会社。

私が強く影響を受けた2社目は外資系広告代理店の『レオ・バーネット(通称:レオ)』です。正確に言えば、私が入社した時はまだ『協同』の文字が社名の最後についていました。

まず驚かされたのが、綺麗な受付に置かれた真っ赤なリンゴと、後ろの壁にあった大きなシンボルマーク、そして横の壁に掛けられた『私の名前をドアからはずす時』の額縁。受付の女性も流行りのスーツを着て美しかったです。
(※リンゴは大恐慌のさなかの1935年創業時から、訪問者へのおもてなしとして受付に置かれています。)

そして一歩入ると、オフィス内を闊歩する大勢の外国人社員、当然のように英語が飛び交い、社員の半分以上が女性で、営業もクリエイターもみんなオシャレ!なんと受付のリンゴは食べ放題、ボルビックとコーラ、コーヒーは飲み放題です。

モノトーンで統一されたクリエイティブルームには、各自に与えられたL字型の広いデスクと座り心地の良い椅子…私がこれまで勤めてきた日本の会社とはまったく違って、出社初日からカルチャーショックを受けました。

違っていたのはオフィスの環境だけではありません。仕事の進め方も、まずブランド戦略を策定し、それをクライアントと合意した後に、実際のクリエイティブ作業に入ります。

そして、すべてのクリエイティブ案はクライアントに見せる前に、営業、メディア、SP、リサーチなどの各担当者が出席する社内のCRC(Creativ Reviewe Committee)で承認を受けるのですが、これを通すのはクライアントにOKをもらうより、ずっと難しかったです。

レオはクリエイティブ・エージェンシー”を標榜しており、CRCで承認された数案しか、クライアントにプレゼンしません。CRCのチェアマンはクリエイティブのトップであるクリエイティブオフィサーが務め、出席者全員の意見を聞いた後に判断を下すのですが、再考しろと突き返されることは日常茶飯事です。

時には、より良いクリエイティブをつくるために、元のブランド戦略を変更するべきだと、クライアントを説得することさえありました。とにかくクリエイターにとってはエキサイティングな会社です。

レオはブランドチーム制で、流通向けリーフレットから、店頭POP、DM、各種SPツール、新聞・雑誌広告、テレビ・ラジオCM、イベントまで、すべて同じクリエイターが 担当します。私はレオでようやくテレビとラジオに出会えたわけです。ついでに妻とも出会っています。

レオでは戦略に則したブランディングの重要性を、P&Gやフィリップモリス、ケロッグほか、グローバル企業の多くのブランドを担当しながら、最前線で学ばせていただきました。

紹介するのが遅れましたが、今回のブログのビジュアル『私の名前をドアからはずす時』は、創業者でコピーライターだったレオ・バーネットが生前に残した言葉です。全世界のレオ・バーネットのオフィスには、必ず受付のリンゴと一緒に受付に掲げられています。ちなみに私のオフィスに飾っているものを撮影しました。

要約すると「私が死んだ後で、社名を変えてもらっても一向に構わない。しかし、遅くまで仕事をしている同僚への敬意を忘れたり、クリエイターとしての熱意を失ったり、ただ金儲けのために仕事をしたりするようになった時には、あの世から化けて出て、私の名前をドアからはずす。そして、シンボルマークにペンキを塗り、受付にあるリンゴを投げ捨てる。すると翌朝、君たちはここがどこだか分からなくなる。」と書かれています。

またレオのシンボルであるリーチングスターは、社章であると共に社是です。「あなたが星をつかもうと手をのばしても、なかなつかめないかもしれない。だが星をつかもうとしていれば、泥をつかむことはない。」を表しており、コピーとしても凄いと思います。

 

最初に書いたように、このコロナ禍で色々なことが変わりはじめ、それらに対応するために苦労したり、悩んだりしている会社も多いと思います。このような時こそ、原点に一度戻てみようと、むかし話を書かせていただきました。

皆さん、前向きに星をつかもうとしていれば、泥はつかむことはありません。頑張っていればきっとチャンスは訪れます。まだドアから名前をはずす時ではありません。

もし今、私たちがマーケティング・コミュニケーションのスペシャリストとして、お手伝いできることがあるなら、ご相談ください。全力でサポートいしたします。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

以上、クリエイティブ・コネクション ブランド・マーケティングコンサルタントの町田芳之でした。

ブログに関する質問やお問い合わせは以下のアドレスからお願いします。
https://www.creative-connection.jp/contact/index.html

 


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